経済産業省がHPで公表している「未来の教室」とEdTech研究会には,現在の日本が抱える問題点に加え,今後の教育がどのように変わっていくかについての意見がまとめられていました。
2018年から2019年までのものになりますが,文科省以外の組織が令和の教育の方向性を与えてくれているという点で有用です。
当記事ではその中から,今後の社会で求められる「課題発見・解決能力」と日本が抱えている「教育の問題点」の2つについてみていきたいと思います。

課題発見・解決能力の重要性と構成要素
これからの社会では,今まで以上に課題発見・解決能力が求められます。
ここで言う「課題」とは,過去に例のないものであり,どのような書物を調べようとも明確な答えが載っていないような新たな問題です。
「超高齢化社会における働き方」についてのニュースを目にするようになって久しいですが,人間の寿命が今後世界規模で延びていくとなると,どの国もこれについての議論を避けることはできません。
年金問題や保険料,はたまた幸せの定義など,高齢化が進む日本はこの問題にいち早く直面していることもあり,「課題先進国」と呼ばれて注目されているわけです。

この試みが成功することは日本人にとっては極めて重要であるものの,外国人からすれば他国が失敗しても反省材料の1つにすればよい程度で,頼りになるのは我々自身です。
さらにそれをもっと突き詰めると,結局は国民1人1人の問題になります。
さて,こうした未知の課題に対処しなければならないときにどのような力が必要とされるでしょうか。
決められたことに忠実に従い,期待された結果を出す力とは少し異なります。
実際のところは,課題の本質を見極め,それを解決するための仮説を立ててみては,実験と考察によってその真偽を確かめようとする探求心であり,結果的に状況を好転させられる力です。
これを「課題発見・解決能力」呼ぶことにしますが,経済産業省がその力の獲得に貢献するであろういくつかの要素の存在を示唆しており,具体的には「50センチ革命,越境,試行錯誤」とされています。
以下の章から,これら要素について詳しくみていくことにしましょう!
経済産業省が提言する50センチ革命とは
社会において目を見張るような改善(提言内では「カイゼン」と書かれています)や世界を変える発明や革新,さらには気の利いた新しいサービスの裏には概ね小さな気づきが存在するもので,それをきっかけに最初の一歩を踏み出すことを「50センチ革命」と言います。
この「小さな革命」を成し遂げるために必要なものとして,
- 自己肯定感
- 自己効力感
- 当事者意識
- 他者への共感
- 課題発見力
- 思い切りの良さ
が挙げられています。
どれか1つが特に重要というわけではないので,これらすべてを様々な方法を通して獲得していく必要がありますが,世界を変えるほどの力になるわけですから達成が難しいのは当然ですし,だからこそ,人生を賭けて挑戦する価値があると言えるでしょう。
例えば自己肯定感については香川県の小学校の例を中心に小中高生の自己肯定感を高める方法とはでお伝えしましたし,課題の発見力を高めるためには,問題の本質を見極める俯瞰的な視点や構造を理解する力が必要です。
責任転嫁がお家芸で,非難の対象が不在になりがちな日本社会において圧倒的な当事者意識があれば,全責任を自分が引き受けるという覚悟を持って物事に取り組めますし,そもそも他者への共感力なくして人の役に立つサービスは生み出せないでしょう。
こうした力が革命を引き起こすことは確かにありそうです。
加えて,何か新しいことを始めるときには,思い切りの良さというのも重要な要因になりえます。
「うまくいくかわからないから」という理由で止めてしまうようでは,大きな夢は叶えられそうにもないからです。

経済産業省が提言する越境とは
2つ目は「越境」という要素ですが,こちらは文字だけ眺めていても意味が全くわからないと思うので,早速具体例をみてみましょう↓
- 自らの思考の中心となる専門性
- 異分野の視点や知見の理解力
- 多様性の受容力
- タテ割りや対立を溶かす対話力
- 巻き込む力
どうやら,目に見えない精神世界で境界を越えることを意味するようですが,上のような能力が越境を可能とし,結果的に課題発見・解決能力の獲得へと至ります。
1つずつ,もう少し考えてみましょう!
人がものを考える際には,その人の軸となる専門性(深い知識)が必要になることは確かです。
医者や弁護士,スポーツ選手など,各自が自分の生きている世界(活躍できる場所)についてよく理解しているように思います。
とはいえ,作曲家がオーケストラのために曲を書き下ろすとして,その人が全部の楽器に精通していることは稀でしょう。
しかし大体は何か1つの楽器は極めていることが普通であり,その楽器の猛練習を通じて得た知識や経験をもとに作曲をしていくことになるわけです。
もちろん,それ以外の楽器の特性(音域や奏法)について知らなければ正確な楽譜は作れませんので,そういった知識が上で言う「異分野の視点や知見の理解力」に当たるのでしょう。
勉強の世界だと,基礎学力や教養といったものと同義になります。
3つ目の「多様性の受容力」は,前に習えといった教育方針や,出る杭は打つ的な標語を掲げる環境では育ちにくい能力です。
しかし,世代間を超えて上司にも対等に意見できる社風がこれからの社会において求められており,失敗を恐れず周りを巻き込んで課題解決に挑んでいけるカリスマ性こそが,新しい働き方を考える上で重要でしょう。
経済産業省が提言する試行錯誤とは
前章の用語に比べ,「試行錯誤」をイメージすることは簡単です。
とはいえ,これを可能とする能力を育成するためには長い時間が必要で,結果よりも過程を評価できるようになって初めて獲得できる能力となっています↓
- 遊び心
- 創造性
- 正解なき中での思考力
- 省察
- 失敗からの回復力
遊びや創造という言葉から想起されるものの筆頭に「芸術」が挙げられますが,例えばパリにいるフランス人の暮らしぶりをみていると,仕事はほどほどで遊ぶことに重きを置いているイメージがあります。
よりマイルドに言えば,仕事以上に自分の時間を大切にしている国民性とでも言いましょうか。
超有名なバンドのメンバーや俳優が,仕事よりも家族との時間を優先して表舞台を去ることは,海外でよくある話です。
ところがこれが日本だと,「遊んでいる暇があったら仕事(勉強)をしろ!」などとすぐに言ってくる人がいます。
しかし,その人が素晴らしい作曲スキルであったり,立派な絵や彫刻を造り上げる能力を持っていたりした試しがありません。
彼らはそれとはほぼ真逆を行く生き方をしています。

面白いことに,これからの時代では試行錯誤ができないタイプの人間では生き残ることができません。
なお,2つ目に挙げた「創造性」とは,普段から物思いにふけったり,静かに瞑想して考える時間があったりするからこそ伸びる能力で,何かしらの誘惑が常にある毎日や,頭の中が仕事で埋まっている多忙な日常では到底獲得できそうにはありません。
「正解なき中での思考力」とは論理力や分析力を意味するのでしょうが,4つ目の「省察」と合わせて,「論理的にものを考えられる人であれ!」といった意味です。
最後に挙げた「失敗からの回復力」は,捲土重来の精神を持ち,落ち込むときはとことん落ち込んで悔しがってもそこからまた復活できる,某アニメの主人公みたいな人物をイメージすればよいでしょう。
私も沢山経験しましたが,失敗するととことん落ち込み,時には自身の存在意義すら根本から揺さぶられるものです。
しかし,なんとか立ち直って再度立ち向かっていきましょう。
日本の教育が抱えている問題点
これまで,課題解決力に関与する3つの要素についてみてきたわけですが,薄々お気づきの通り,これらは日本の教育が得意とするところではありません。
本章では,有識者との話し合いにおいて挙がった現在の日本が抱えている問題点についていくつか挙げていきたいと思います。
学ぶ意味を知らない
ただ黙って言われるがまま,与えられるがままに受け身的な勉強をしていると,結局,課題を自ら発見したり設定したりしては,それを解決することができない大人になってしまいます。
どうしてこの教材を学ぶのか。
今の日本には,勉強をする意味を答えられない子どもが多く,自立した人間が持つべき基本的な姿勢が身に付いているとは到底思えません。
批判的な思考が育たない
批判的思考(クリティカルシンキング)については大学で初めて教わる場合もあるでしょうが,なるべく早い段階で獲得しておくことは重要です。
ラーニングプログラムを提供する企業で働く友人から,社会人がクリティカルシンキングを学ぶ講座を求めることが多くなっていると聞いています。
ですが,それを教えるためにプロジェクト型学習を行ったとしても,特定の結末が教える側で予め想定されていたり,ただ体験し協働して感動することだけが授業の目的になっていたりするようではいけません。
もっとも,このことについては教える側にも弁明の余地があり,教員自身が探求の時間やアクティブラーニングを楽しむ時間が取りづらい状況に置かれているという問題もあります。
秩序やルールを大人だけで作っている
所属している集団に存在する秩序や常識に疑問を感じたら,それを積極的に変えにいくための機会となるのが「特別活動」や「総合学習」と呼ばれる授業です。
しかし現状,自分を秩序に合わせるための時間になってしまってはいないでしょうか。
自分の学生生活を振り返っても,先生に意見するようなことはありましたが「俺が辞書だ!」などと一喝されて終わりでした。
偏差値の高い学校だと学校運営を生徒に任せるところが多いですが,程度の差こそあれ,どんな学校であっても,生徒と教師が立場を超えて議論できる場を設けることは重要です。
他者への共感の精神を教えるためにも,学校という場所が,おかしいところはおかしいと言える環境に変わっていくことを望みます。
基礎を終えるまで応用問題を扱わない
従来の教育方針では,「浅く広く基礎を固めてから初めて応用問題を解く」という順番で授業が進みました。
しかし,応用問題を先に提示することでひとまず当事者意識を持たせることを優先し,その問題をどのように解くか探求していく中で必要な知識を学び取らせていく学習スタイルもあって然るべきではではないかというのが経済産業省の提言です。
ロボットのプログラミングをしていた中学生が最先端の海外の論文を読むだとか,物理の計算に必要な三角関数をまず先に学ぼうとすることがあっても良いと思います(全部をこういうスタイルにしろと言っているわけではありませんが)。
おわりに
以上が,これからの日本社会に求められる課題発見・解決能力の育成に必要とされる要素と,現在の教育現場に存在する問題点です。
2020年の教育改革以降,この能力の獲得が目標の1つになったことは明らかですが,学ぶべき内容が減らず,かつ学習効率も従来のままでは,上記に述べたような課題発見・解決能力の育成に時間を割くことはできません。
新しい教育方針だからといって,これまでの教育をなおざりにしてしまうようでは,日本がこれまで積み上げてきた成果を否定してしまうことにも繋がりかねないですし,最悪,現在よりも状況が悪化してしまうことも考えられるわけです。
そこで,これからの教育で考えるべきキーワードとして「学びの生産性」というものがあります。
これは,費やした時間に対して得られた能力の価値を意味する指標のことで,簡単に言えば「費やす時間と見返り能力に関するタイパ」のようなものです。
なお,学びの生産性を最大限に高めることができれば,これまで述べてきたような能力は獲得できるということが経済産業省の見解となっています。
学ぶ段階からすでに,課題発見・解決能力が問われるというのは何とも興味深いものです。
当記事が色々と考えるきっかけになることを望んでいます。
最後までお読みいただき,ありがとうございました。