いわゆる名門校に入学した小中高生を見ていると,大人の自分をはるかに超える能力を持っていることに気づかされます。
過去には芦田愛菜さんが女子御三家の女子学院に合格したことが話題になりました(芸能活動を優先して慶應中等部に入学しました)が,彼女は子役として一世を風靡しただけでなく今でも大人顔負けの活躍で,何事も疎かにしない姿勢は一部から「芦田プロ」と評されるほどです。
自分の塾に来ている生徒たちで比べても,女子学院に通う生徒は羨ましいくらい豊かな想像力を持っていますし,男子御三家である麻布学園に通う子の文化祭に呼ばれて行ってみれば,その展示レベルの高さに驚かされます↓
私の塾は都内にあることもあって,駒東・雙葉・巣鴨・武蔵などの名門校に通う子を持つ親御さんと話をすることも少なくないのですが,概してどの方も高い教育意識を持っていて,子どもが幼少期のうちから色々な働きかけをしているものです。
「うちの子は出来が悪いので…」などと謙遜している方ばかりですが,音楽やスポーツ,算盤教室や自然教室,さらには短期留学に行かせたりロボット教室に通わせたりと,どんなものに興味を惹かれるかわからないわが子の機会提供に尽力していました。
少子化であっても塾は多くの子どもで溢れていますので,教育にかける費用が現在でも大きな割合を占めていることは確かです。
今回は世間を幅広く見渡して,「親の持つ教育意識や働きかけが子どもに与える影響」について少し考えてみたいと思います。
芸能人に見る幼少期の教育例
テレビをつければ,子どもの教育に対する多くのヒントを得ることが可能です。
例えばサッカーで有名になった久保建英さんの親は,絵本を500冊も家に置いて,知的能力を刺激するように工夫したと述べています。
なるほど,プレーひとつひとつに発想力が感じられるのはそのせいでしょうか↓
そしてその発想を実現するために必要な身体能力の方ですが,幼少期はソファーを家に置かず立って生活させることで体幹能力を鍛えたと言うことで,こうした工夫は子ども1人では成し遂げられない,まさに親の努力の賜物です。
本人が後で振り返って,これを「辛い記憶だった」などと発言するようであれば問題ですが,競争が主戦場となっている世界において,人より優れた能力というのは唯一無二の確実な武器となります。
人は十人十色ですから,尊敬している誰かの真似をしているだけではその差は埋まらないでしょう。
日本はもちろん,メジャーリーグの殿堂入りすら果たしたイチロー選手も,小学生の頃から同級生と遊ぶ時間を優先せず,暇さえあれば練習にあてていたようです。
バッティングマシンからホームベースまでの距離を通常よりも短くし,球速は同年代相手の草野球では体験できないほどの速さに設定して多くの球を打ち続けるという生活を長い期間続けてきた彼ですが,このアイディアや実行にあたって,親の影響を受けていないはずもありません↓
Society5.0に向けて世の中はますます便利になっていくわけですから,ICTを駆使して育った子どもが驚くべき能力を備えた人間となって活躍するチャンスはより広がっていくことが容易に想像できます。
他には,「家政婦のミタ」という番組で有名になり,フィギュアスケートとの二刀流を実行している本田望結さんも,1歳から7歳まで七田チャイルドアカデミーに通い,30個ランダムに見せられたカードを3回ですべて覚えきることができたと言います↓
七田式の商品例
上述した訓練の効果はIQや記憶力の高さに表れ,
ドラマの台本を他の出演者の分まで全部覚えることができた
という彼女の話から察するに,仕事をする上で大いに役立ったことでしょう。
こちらに関しても,親が自分の子どもの教育に働きかけたからこその結果だと思います↓
もちろん,厳しく接しすぎたせいで子どもがひねくれてしまい,親が思い描いていたような大人に育たないこともあるでしょう。
ですが,甘やかして上手くいったという家庭は周りで滅多に見かけないわけです。
とはいえ,子どもが高校生ともなれば親の方針に異議を唱えて衝突することもありますし,周りからすれば「辛そう」と感じるような行為であっても,当事者からすれば当たり前のように感じていることも少なくありません。
次章では,厳しく育てることについて考えてみましょう。
親は子どもを厳しく育てるべきか
子どもを厳しく育てるかどうかですが,親が性悪説と性善説のどちらのスタンスを取っているかによって,教育方針は大きく変わってくるように思います。
子どもは生まれたときには物を知らないのだからしっかり躾ける必要があり,甘やかしてしまえばダメになってしまう
と考えるのであれば性悪説ですから,その場合,親は厳しく子どもを教育すべきです。
とはいえ,こういった教育方針の親は海外に多く,日本人はどちらかというとその逆の性善説の方が多いように思いますが,正直どちらが正解なのかはわかりませんし,どちらか1つに決めてしまうこと自体,変な話なのかもしれません。
というのも,厳しく接した方が良い子どもがいればそうでない子どももいたり,Aという場面においては厳しく接するのが正解でもBの場面では褒めるような使い分けが重要だったりすることがあるからです。
ちなみに,「褒めて伸ばす」というのは塾における私の基本方針ですが,それは他人様の子どもを預かる立場において無難な態度であるからひとまずそうしているだけであって,長い間近くで見ていられるわが子であったらまた別の対応になるように思います。
叱ることが悪いかと聞かれれば,決してそのようなことはありません。
例えば,自分が小学生だった時,講師の言うことを聞かなかったせいで居残りをさせられては泣く泣く漢字を書かされたり,さぼろうとした際に耳を引っ張って塾まで連れ出されたりした思い出は,プラスの感情と共に今でも私の記憶に残っています。
ところで,私の塾に来ていた小学生の親で東大理三卒の方がいましたが,毎日何かしらの習い事の予定が入るように生活を管理していて,夏休みであってもその旅行先で塾に通わせていたほどでしたが,その子は塾でよく泣いていました。
その涙が,毎日が辛すぎることによるものだったのか,これだけやっているのに問題を解けないことへの悔しさからきたものなのかは今となっては知る由もありません。
ですが,もし仮に前者が真実だったとしても,「子どもはある程度自由にのびのびやらせてやる」ことが正解だったと後で反省するかもしれませんし,「当時の厳しい毎日があったからこそ,今の自分がある」と子どもが親に感謝する日が来る可能性も否定できないわけです。
結局,子どもは1人しかいないので,別の方針で育てた場合にどうなったかと比較することはできません。
自分の教育方針に反省はあっても,後悔だけはしないようにしてください。
ちなみに,負けん気が強くて負けると泣いて悔しがっていたのは卓球の福原愛さんとか,最近は平野美宇さんもそうですし,将棋の藤井聡太さんについてもそういったエピソードを聞くことがあります。
大の大人が子ども相手に真剣になるのは,ある意味,厳しく接している証拠に他ならず,そこで悔しさをにじませることは子どもを大きく成長させるチャンスになるでしょう。
泣くくらい本人の気持ちが揺さぶられているときには,親は熟考して何らかの策を講ずるべきです。
なお,子どもの学力を高めるために親ができる働きかけの案として,努力することの大切さを伝えることが有効というアンケート結果が知られています(文科省の調査による)。
この他,テレビや動画を観る時間にルールを設けることも重要だとされており,厳しさが学力上昇に繋がる例だとされています。
しかしその反面,子どもの良いところを褒めて自信を持たせることは,彼らの自制心や意欲,忍耐力を育ててくれるため,これもまた大切です。
ゆえに,スタディサイトの結論としては「親は自身の信念に従い,子どもが間違ったことをしたら叱るが,頑張ったときには褒める」という,飴と鞭の両方を与える姿勢で振る舞い,その子がギリギリできるかできないかくらいの条件を目標に設定すべきだとしておきます。
親が子どもに知育玩具を与えることの有用性とは
ところで,将棋の藤井聡太さんと言えば,一時世の中を大いに賑わせたのが,彼が3歳の時に親から与えられた「キュボロ」というおもちゃです。
これは一見,積み木のように遊ぶものかと思いきや,ビー玉が付属していることからわかるように,積み木の外部だけでなく内部をも通るコースを作り,スタートからゴール地点までに至る玉の道を完成させる知育玩具だったりします↓
これで遊ぶことで空間の認識能力が高められることはもちろん,それぞれのキューブの役割について理解し試行錯誤しながら正しい道筋を作り上げていくという工程は,将棋や現在のプログラミング教育にも通じるところがあるでしょう。
もちろん,キュボロ以上に将棋との出会いが彼にとっては大きな出来事だったわけですが,将棋や囲碁に小さい頃から打ちこむことで大人顔負けの落ち着きが身に付き,物事を感情的ではなく論理的に捉えられるようになったと多くの棋士が述べています。
そういえば私が小学生の時,囲碁を教えようとしてくれた祖父に向かって,母親が
と憤慨していたことを覚えていますが,祖父はこのことをずっと悔しがっていました。
たった1つの出来事をきっかけにその後の運命が大きく変わってしまうことは幼少期に頻繁に起こり得るもので,もし当時にしっかりと囲碁を教わることができていたら今の自分はどういった物の考えをするようになっていたのかが気になるところです(私は飽き性で落ち着きがない性格です)。
知育玩具で有名なものといえば「レゴ」もあります。
過去にはロボットにハマって日本1位になった生徒や数学の空間図形の処理に特に優れた生徒がいましたが,両者ともにレゴに夢中になった経験があった点で共通していました。
それも説明書通りに完成させるような使い方ではなく,バラバラにしたパーツから新しいものを作り出すという遊び方をしていたのがポイントで,そのような創造力を養う遊びを楽しめていた子どもというのは概して空間認識能力に優れた子へと育ちます。
上2人のうちの1人はその後,レゴのシステムを用いたプログラミング,ついにはロボットの研究者にまでなるわけですが,最後までやり抜くことの大切さは彼の例からもよく伝わるはずです。
プログラミング教育は2020年度から小学校で取り入れられてるようになりましたが,地元にあるスクールを覗くと今でも盛況なようで,これからも流行り続けるでしょう。
コロナ禍で通信やオンラインの受講もだいぶ整備され,ノウハウも蓄積されてきました↓
親が子どもの教育を行う際には,キュボロやレゴといった知育玩具の影響力についても意識しておきたいものです。
知育玩具ではありませんが,図鑑という選択肢も考えられます↓
芦田愛菜さんについて語るには読む力の高さが欠かせませんが,これまでに紹介した生徒たちのほとんどは高い国語力を身に付けていたものです。
読めるということは自分一人でどんどん学んでいけるということで,同じ話を聞いたとしても理解力が高い子どもの場合,周りと別の経験をしていると言っても過言ではありません↓
親が子どもを自然に触れさせることは重要
個人的な意見になりますが,最も子どもの感性に働きかけるものは自然だと思っています。
しかし,住んでいる家の周りに里山などがあって山菜や虫採りにいつでも出かけられるような環境に置かれている子であればともかく,都会在住であまり自然と触れる機会がないような場合において,親は子どもにどのように働きかければよいのでしょうか。
例えば,「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンという生物学者がいましたが,彼女の書いた「センス・オブ・ワンダー」という本によれば,
大人は子どもと一緒になって,ただ世の中の不思議さに驚く体験をすればいい
とだけ書かれています。
これは,台風の日に傘を差さずに外を子どもと出歩いたり,近所で出会う色々な生き物を子どもと一緒にただ眺めるだけで構わないという意味であり,それだけで子どもは(下手したら大人も)十分に感性が磨かれることになるわけです。
子どもに何か知らないことを聞かれたらどうすればよいのか
と疑問に思われる方は何の心配も要りません。
親が生き物の名前を知らず,子供に正確な名前を教えてあげられなくても全然構わないのだ
と,レイチェル氏は説くのです。
20年ちょっと前に,子供の理科離れが新聞でしきりに騒がれていて問題視されていた時期があったのですが,それを機に企業は工場見学を始めとするイベントを積極的に開催するようになったので,そういった場所を意識して連れ出してみるのも良案の1つだと思います。
その他の候補としては,地域のボランティア活動でも自然を回るツアーがあったりしますし,留学させたり旅行をしたりするのも,子どもの発育に良い影響を及ぼしてくれるでしょう。
このときも,大人はただそういった場所に子どもを連れていってやるだけで構わないのです。
ところで,感動というのはどういったときに起こる感情なのでしょうか?
それはずばり,人が恐怖を感じたときです。
自分の想像もつかない出来事に対峙し恐怖することで人はその対象に大きな畏怖の心を抱き,その結果感動するのだと思います。
世の中では誰かに作られた感動というか,守られた場所ばかりが注目されていて,子どもを放っておくとそうした安い感動しかできない身体になってしまうでしょう。
それを防ぐためにも,親の方から積極的に子どもに働きかけることが重要です。
危険だという理由で,ワクワクするような遊具が大人の都合で姿を消してしまった公園を見ると,子どもたちが日常のつまらなさにうんざりし,携帯ゲーム機やスマホで遊ぶくらいしかすることがなくなってしまったのも当たり前のように感じています。
とはいえ,これも先の塾の話ではないですけれど,見ず知らずの他人を相手に,わざわざ危ない環境を作り出すことは普通はしないわけで,ならば身近で見守る時間が多い親がわが子を意識的に導いてやるべきではないでしょうか。
さいごに
警察のトップに立つのもヤクザの大親分になるのも,実のところ大差はありません。
というのも,両者ともに同じだけの高い知性を備え,相手の裏をかくための論理的な思考力を日々競わせていることに他ならないからです。
良い行いができるのは悪いことが何なのかを深く理解しているからこそであって,そういった意味で,マザーテレサは「最大の極悪人」と言うこともできるでしょう。
ちなみに,現代の子どもたち全員に対して,これからの社会で生きる力を備えた人材になることが求められています。
間近に迫ったSociety5.0においては,新時代ならではの文明の利器が存在しており,その中には,子どもの成長を一段と高めるために役立つものが沢山見つかるでしょう。
すでに現代においても,海外経験なしで12歳でTOEIC980点を取るような中学生がいて,その子は小学5年生で英検準1級を取ってしまいましたが,そのようなことは一昔前であれば考えられなかったことです。
彼女の場合はニュースになるくらいでしたが,私の教えている生徒でも中3で2級や準1級,高3で英検1級の1次試験を突破するくらいの結果を残す子は毎年のように出てきています。
これは,インターネットが発達し,自分で調べて色々なオンラインサービスが利用できるようになったことに起因していますが,上述したレベルにまで達する子というのはオンライン英会話を継続的に利用していることが多いです。
その他,ICTやEdTechなどと呼ばれる技術も,使い方次第では世界を自分たちの都合が良いように変えることができるわけで,これからの教育を考える上で大いに期待できるものでしょう↓
こうした自立型学習ができる子どもが育つ理由は,親が率先して色々な経験を子どもにさせたからだと思っています。
さらには,親自身もかなりの努力をしていて,意外なところだと,親がPTAや保護者会に参加することが重要だと述べられていて(先ほどの文科省アンケートより),そういった家庭で育った子どもの方がそうでないところの子よりも学力が高かったそうです。
これもまた,親の教育意識の高さの表れに他なりません。
わからない点が多い子育てですが,親の働きかけで生まれたものはいずれ形を大きく変え,子どもがこれからの時代を生き抜くための大きな力へと変わっていくことでしょう。
子どもは国の宝です。
親自体も学びを止めず,互いに頑張りましょう!